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東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)2号 判決 1960年2月16日

原告 佐藤恒巳

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨及び原因

原告は、特許庁が昭和三十年抗告審判第二八三号事件について昭和三十二年十二月九日にした審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求の原因として次の通り主張した。

一、原告は、水性ガス、天然ガス分解ガス、重油分解ガス等の炭素系ガスを原料としてアンモニアを合成するに際し、原料ガスに水蒸気を賦与し、これを一酸化炭素変成触媒に通じて一酸化炭素と水蒸気とを反応せしめる第一工程と、第一工程を経たものをアンモニアと食塩とを主たる成分とする水溶液にて混合接触せしめめ、ガス中の炭酸ガスを吸収除去する第二工程とより成ることを特徴とするアンモニア製造原料ガスの精製法、なる発明について、昭和二十九年四月十三日附で、特許の出願をし、該出願は、同年特許願第七、四一三号として特許庁に係属したが、昭和三十年一月二十日、拒絶査定を受けたので、同年二月十四日、抗告審判を請求したが、特許庁は、同年抗告審判第二八三号事件として審理の結果、昭和三十二年十二月九日附で、本件抗告審判の請求は成り立たない、旨の審決をし、右審決書の謄本は同月二十六日原告に送達された。

二、本件審決の要旨は、本願の方法は炭酸ガス吸収能の大きいことが周知であるものを単なる炭酸ガス吸収剤として用いることを要件とするに過ぎないものと認められるので、特に発明力を要することなく当業者が任意になし得べき程度のものであり特許法第一条の発明を構成するものとは認められない、という点にあるが、右の判断は次の理由によつて違法である。

(一)  本発明は、アンモニア製造用原料ガスを精製する方式を改良することを対象としている。すなわち、本発明は、水性ガス等の炭素系ガスを原料としてアンモニアを合成するに際して、

(イ) 第一工程として水蒸気によりガス中の一酸化炭素を水素と炭酸ガスに変成する、

(ロ) 第二工程においてアンモニア食塩水にてガス中の炭酸ガスを吸収除去する、

ことを要件とする。そもそも、アンモニア製造用の原料ガスとして必要なのは、窒素と水素とであるが、炭素系ガス中には以上のガスのほかに一酸化炭素、炭酸ガスを多量に含んでおり、これらのガスを除去しないと、アンモニア合成反応上有害である。この除去法を、技術的、経済的に改良することが、本発明の方式であり、この方式は、本発明者が世界で始めて発見したもので、従来のいかなる文献にも記載されていない。

審決は、本発明の特許請求の範囲の一部分の性質をつまみ上げて、炭酸ガス吸収能の大きいことが周知なものを炭酸ガス吸収剤として用いることを要件としているに過ぎない、と断じているが、これは本発明の全体としての意義、新規性には全く目をつぶり、たゞその一部分を切り離してつつき、これによつて、本発明を否定しているのであつて、不当な判断といわなくてはならない。

本発明の方法によると、アンモニア原料ガスの精製は技術的に合理化され、経済的に大きく値下げになる。すなわち、

(イ) 従来の精製方法によると、高圧水で炭酸ガスを吸収除去しているため、アンモニア一トンを製造するのに、多大の動力を要する。本発明では、これに反し、低圧で十分であるので、アンモニア一トン当り、動力五〇〇KWHの節減になり、価格において、一、二五〇円の切り下げになる。

(ロ) 従来法では、有効ガスたる水素の損失が多く、これが大きな欠点であつた。すなわち、アンモニア、トン当り約一一〇ないし二二〇立方米の損失となる。本発明では二二立方米の損失ですみ、この利点は金額にすると、八八円ないし一、九八〇円となる。アンモニア工場は年間約三万ないし六万トンのアンモニアを生産するので、本発明による合理化は、年間少なくとも二、六四〇万円ないし一〇、五六〇万円の利益をもたらすものである。

かように、本発明の方式は、従来の文献、記録にない新しい発明で、その経済性はきわめて高いことより、当然特許に値し、これを否定した本件審決は、違法であり、取消を免れない。

(二)  審決は、本発明の方法を、炭酸ガス吸収能の大きいことが周知であるものを単なる炭酸ガス吸収剤として用いることを要件としているに過ぎない、といつている。アンモア食塩水を高濃度の炭酸ガスと反応させると、重炭酸ソーダが結晶生成するということは、周知の化学反応であるが、本発明のように、アンモニア原料ガスの精製にアンモニア食塩水を用いた文献、記録はない。そして、特許の概念によれば、当該発明の全領域の一部分が他の分野で周知のことであつても、全体として文献、記録にない新規なもので、経済的に効果が大であれば、特許として認められている。例えば、同じアンモニア原料ガスの精製についての特許をみても、特許出願公告昭和二九―一四七四の特許請求範囲は五つの工程より成つており、この五つの工程のそれぞれはアンモニア原料ガスの精製法としてアンモニア工業技術者に周知のもので、実際の工業に使用されているものであるが、たゞこの五つを組み合せた文献、記録はないので、これが特許として認められているのである。ひとり、本発明に限つて、その特許能力を否定していることは、きわめて不公正であり、納得できない。

(三)  審決は、本発明の方法は当業者が任意になし得べき程度のものである、としている。本発明の第二工程たるアンモニア食塩水と炭酸ガスとの反応は、ソーダ工業に周知のものであるが、ソーダ工業において使用する炭酸ガスは約六〇%の高濃度のものを要し、その他の成分は主として窒素である。本発明のアンモニア原料ガスは、炭酸ガス三三・二%一酸化炭素二・六%、水素四五・八%、窒素一七・二%、メタン一・二%の組成より成り、ソーダ工業使用のガスとは、その成分、内容を異にしている。アンモニア合成は、高温、高圧、触媒を使用し、不純物を極度にきらう反応である。このような性質の反応に以上のごとき精製法を適用するには、高度の専門的技術と、経験と、確認と、発明の才なくしてはできない。当業者の任意になし得る性質のものではないのである。

(四)  審決は、また、本発明の経済的効果たる動力、用水の節減効果を、ガス吸収工程に極限して眺めた場合の効果である、といつているのであるが、これは、アンモニア合成方式を理解していないことに出た誤りである。元来、アンモニア原料ガス精製を目標としている本発明にとつて、ガス中の不純分たる一酸化炭素を変成して除くことは欠くことができないものであり、動力、用水の節減等、列挙せる発明効果が発揮されるためにも、右の第一工程は必要欠くべからざる絶対的要件である。本発明の効果は、第一、第二の両工程が結合して始めてあがるものであり、これをガス吸収工程に局限して眺めるというのは、事実の認定を誤つている、というべきである。

(五)  審決は、本発明について動力、用水の節減の効果を認めているにもかゝわらず、更に本発明の大きな効果である水素損失の減少という効果については、全くほおかぶりをしている。従来のアンモニア原料ガス精製法の最大の欠点は、この水素損失の過大な点にあり、これを解決した本発明の意義は高い。これを看過した本件審決は、事実の認定を誤つたものといわなくてはならない。

(六)  なお、審決は、本願明細書がアンモニアソーダ法によるソーダ灰の製造工業との関連を記さないことを指摘しているが、本発明はアンモニア原料ガスの精製法の改良に関するものであり、重炭酸ソーダの製造は、本発明の工程において排出してくる吸収廃液の処理、再生が問題になるときに副生してくる事項であるに過ぎず、本発明に欠くべからざる事項ではないので、本願明細書に記載の要を認めない。

しかし、強いてこれを必要とするならば、次に本発明のこの面の効果を説明する。

(イ) 従来のアンモニアソーダ法では、反応に必要な炭酸ガスをわざわざ石灰石とコークスから製造していた。すなわち、粗重曹一トンをつくるのに必要な炭酸ガスを製造するために、石灰石一・五トン、コークス一五〇瓩を必要とし、金額にして、約一、七〇〇円を要する。しかるに、本発明においては、従来アンモニア工業で主として廃棄している炭酸ガスを原料として重曹をつくる結果になるので、以上の原料費はただである。

(ロ) 本発明においては、アンモニア原料ガス中の不純ガスを除くという工程で重曹が副生してくるから、したがつて作業用経費がゼロで重曹が製造されることになる。すなわち、本発明によると、重曹がきわめて低廉な費用により生産されることになり、本発明は重曹製造の革命的方法といえる。

(七)  審決は、さらに、「一酸化炭素吸収操作に対する効果も、該操作における銅アンモニア溶液からのアンモニアの揮散損失は従来法においても絶えず補充されているのであるから、本願方法ではアンモニアの補給源が前工程の揮発アンモニアに変つただけのものであり、顕著なものとは認めることができない。」とも言つている。しかし、従来法では、アンモニア製造原料ガスと吸収廃液とが混合接触中吸収液中のアンモニアが揮発し、吸収液の組成が変化し、吸収力が低下する。アンモニア合成反応は、高温、高圧、触媒による反応である。この触媒が微量の一酸化炭素によつてすぐだめになるので、アンモニア原料ガス中の一酸化炭素を百万分の五〇以下に除去しなければならない。本願発明ではガス中にアンモニアが存在しているので、吸収液中のアンモニアが揮発することがない。したがつて、吸収液の組成に変化がないので、吸収液の吸収能力は絶えず強く保たれるのである。従来法では、吸収力のおちたものをアンモニア製造系の外に取り出して、再調整しているが、本願方法によると、組成の変化がなく、吸収力がおちないから、その必要がない。かゝる技術的相違が化学反応の進行上に実に大きな役割を果すのであり、これを弁別せず、混同して考えることは、きわめて大きな誤りである。本件審決は、この点においても事実の認定を誤つたもので、とうてい取消を免れない。

三、更に、被告の主張に対して、

(一)  アンモニア合成用原料ガスを得る方法として従来最も普通に行われている方法及びこれに対して本願発明における方法の異なる点がいずれも被告主張のとおりであることは認める。

(二)  炭酸ガスの化学的吸収剤として周知のものに苛性ソーダ、苛性カリ、アンモニア水等があることは被告主張のとおりであるが、これらのものに炭酸ガスを吸収させると、炭酸ソーダ、炭酸カリ、炭酸アンモニアを生成し、結晶させて製品とすることができるが、原料に比べ製品の価格が安いため、炭酸ガスの吸収により排出してくるこれらのものの水溶液を石灰や熱で分解してもとの水溶液に戻さなければ経済的に成立せず、したがつて再生費を必要とする。

これに反し、本件発明では、アンモニア食塩水を用いるので、炭酸ガスの吸収後は重炭酸ソーダと塩化アンモニアの水溶液が生成され、これより重炭酸ソーダと塩安とを結晶としてとり出し、製品とすると、その価格は原料のそれに比べ、はるかに高価であり、需要も広大である。したがつて、炭酸ガス吸収後の廃液の処理は、重炭酸ソーダと塩安との製造工程となり、当然にその費用はこれらの製品が負担する。本発明の経済的効果が格段に高いことは明らかである。

(三) 被告は、本発明における補足的部門たる重炭酸ソーダと塩安との製造工程において低濃度ガスの使用に対処する技術が一切不明である、と主張しているが、これに対して本件明細書には、ソーダ工業に関する世界的名著たるテー・パン・ホー著“Manufacture of Soda..に明記された理論に即して、炭酸ガスの分圧を高くして反応速度を十分に高くする方法がもりこんであるのみならず、高濃度の炭酸ガスを要する反応後期においては、別の原泉より九〇%以上の炭酸ガスを供給するよう、十分な工夫、配慮がされている。そして、別な原泉よりの炭酸ガスとは、重炭酸ソーダを燬焼してソーダ灰をつくるときに副生される炭酸ガスであることは言うまでもない。

(四)  次に、アンモニアソーダ法の廃ガス中の残存炭酸ガスが五%程度であることも、被告の言うとおりであるが、本件発明はアンモニアソーダ法そのものではない。本件発明では、明細書の実施例に詳記してあるように、炭酸ガスの除去工程で、吸収液に対し60g/lのCO2を吸収させるのであるが、これはアンモニアソーダ法の工程では中和工程よりやゝ進んだ所に当り、本願方法ではこゝで一応吸収を終らせ、次に仕上げ塔で九〇%の炭酸ガスで重曹生成を完成させる。このような操作によると、前記著書によつても明らかであるように、ガス中の残留炭酸ガスの濃度は非常に低く、中和塔出口で一%以下であるが、本発明の方法では、中和塔と炭化塔の間で、中和塔に近い処で反応を中止させるので、二ないし一%の残留炭酸ガスを存するに過ぎない。

(五)  更に、本願方法において、原料に随伴するアンモニア量が多いといつても、この程度のアンモニアを回収除去することは、技術者なら当然に行う何でもないことで、これに要する費用のごときは、本発明全体の経済的効果より見ると、問題にならない位に小さなものである。

四、なお、被告は炭酸ガスの吸収反応には食塩は直接に関与しない、というが、同時に連続的に進行する数種の反応は、相助け相補つて各反応を一層進めるものであり、かように有機的関連のもとに一体となつて起る反応中の一反応のみをとり上げて、それに食塩が関係していないことにより、アンモニア食塩水への炭酸ガスの溶解に食塩が関係ないというのは、詭弁でしかない。

第二答弁

被告指定代理人は、主文通りの判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告主張の請求原因事実中、原告主張の特許出願から、拒絶査定、抗告審判請求を経て、原告主張の審決がされ、その審決書謄本が原告に送達されるに至るまでの経過、及び右審決の要旨が原告主張の点にあることは認めるが、右審決が違法であることの理由として、原告の主張する諸点は争う。

二、アンモニア合成用原料ガスを得る方法として従来最も普通に採用されている方法は、水性ガス又はこれと類似のガスを精製して製造する方法であり、この方法によれば、窒素、水素、一酸化炭素を主体とする水性ガスに水蒸気を加え、水性ガス中の一酸化炭素と水蒸気とを反応せしめて、主として水素と炭酸ガスと窒素とから成る混合ガスとし、この混合ガスをまず圧縮して高圧水と接触させて炭酸ガスを溶解除去し、次に混合ガスを更に圧縮して銅アンモニア液(第一銅アンモニア溶液)で洗滌し、混合ガス中に少量残存している一酸化炭素を除去し、更にアルカリ洗滌して高圧水では除ききれない少量の炭酸ガスを除去して、アンモニア合成に必要な割合の窒素と水素との混合ガスとするのである。この方法による高圧水による炭酸ガスの除去手段は、高圧(一五気圧ないし二五気圧程度)操作の必然の結果として、除去すべき炭酸ガスを圧縮するための動力や多量の水を要し、また原料ガスの一部も高圧水に溶解して失われる欠点があることも一般に知られているが、吸収剤が安価な水であることと、洗滌水の圧力低下によつて純度の高い炭酸ガスを回収し、他の工業用原料として使用する等、多くの利点を有していることも、一般化学技術者間において周知の事実である。

本願発明は、前記一般普通に採用されているアンモニア製造原料ガスの精製法における、高圧水による炭酸ガス吸収除去を、アンモニアと食塩とを主たる成分とする水溶液(以下アンモニア化食塩溶液と称す。)に切り換えんとするものであり、その効果として、動力、用水の節減、有用ガスの損失防止及び一酸化炭素吸収工程への好影響等が明細書に記載されてある。

しかるに、前記の効果中動力、用水の節減及び有用ガスの損失に関する効果は、手段を問わず炭酸ガスの除去を常圧もしくは低圧において行えば(但し水を除く)当然生ずる効果であつて、何もアンモニア化食塩溶液を用いたことによる効果ではない。吸収剤の価格、両生産費等を考慮しないですむならば、普通化学実験において炭酸ガス吸収剤として用いられる苛性加里、苛性ソーダ、或いはアンモニア溶液単独であつてもよいはずであり、効果も確実のはずである。

真に前記の点で本願方法が工業的に効果のあるものと認められるためには、アンモニア化食塩溶液の使用による炭酸ガスの除去率(吸収能力ではない)、使用吸収剤処理の経済性、設備費用等すべての点を考慮した上で、なおかつ高圧水による方法よりも優るものでなくてはならない。しかるに原告はこの点に関しては全く明らかにするところがなく、単に明細書その他において重炭酸ソーダ及び塩化アンモンが副生すること及びソーダ工業において普通に知られている処理の大要を述べているに過ぎない。

アンモニア製造工業はきわめて大規模な工業であり、したがつて合成原料ガス中に三〇数%含まれる炭酸ガスを吸収せしめる際に生ずる重炭酸ソーダ、塩化アンモンの量も亦きわめて多量であつて、単なる副生品とみなすべき性質のものではなく、その採算を無視して本願方法の効果を論ずることはできない。しかるに本願方法では約百年前から工業的に確立しているソーダ工業における操業条件と異なり、ほゞ半減された濃度の炭酸ガスを吸収せしめ、かつ吸収をより完全にしなければならないにかゝわらず、この対策について何ら明らかにされるところがないのである。

次に、本願方法の第二工程においてどの位の炭酸ガスが除去できるかをみるのに、原告はアンモニア化食塩溶液の炭酸ガス吸収能力の大を云うのみで、除去効果そのものについては何も示さない。一般に高圧水による炭酸ガスの除去後の残存炭酸ガスは一%程度であり、アンモニアソーダ法の廃ガス中の炭酸ガス量は五%程度であることは周知されているが、本願ではいかにこの問題を解決せんとしているのかが明らかでない。

更に第二工程において揮散し原料ガスに随伴するアンモニア量についても、全く説明されていない。アンモニア化食塩溶液中のアンモニア濃度は非常に大きいので、随伴アンモニア量もきわめて多いはずであり、この多量のアンモニアを含むガスが常圧近くから二百気圧程度に圧縮され、銅アンモニア溶液中に廻されるのであるから、ガス中に含み得るアンモニアの量は常識的に相当な差異が生ずると想像されるが、原告はたゞ本願方法によれば銅アンモニア溶液中のアンモニアの損失が防止できる旨を述べるのみで(但しこの効果は出願時明細書には記載がない)、アンモニア量が銅アンモニア溶液中に増加するのか、減少するのか、調節をいかにするのか等、具体的なことは全く示さない。よつて、この効果も従来法に比しての効果として認めがたいのである。

以上のごとく原告が明細書その他において本願発明の効果と称しているものは、炭酸ガスの除去を常圧或は低圧で行わんとする場合には当然予測される利益のみを主として述べたものであつて、そのために必然的に生起するマイナスの面は全く考慮の外に置いているのであるから、とうていこれをもつて本願発明の効果と認めることはできず、結局本願発明の効果は、明細書の記載並びに原告の主張からは全く認めることができないものと言わざるを得ない。

三、(一) 水性ガスより原料ガスを得るアンモニア合成工業及びアンモニアソーダ法によるソーダ灰製造工業は何れも工業として確立後数十年を経過しており、かつ両者が互にアンモニア補給の立場から、或いは高濃度炭酸ガスを供給し得るという立場から密接な関係にあることは、当業者間に周知であるから、本願における工程の結合のごときは、当業者の容易に想到し得る程度のことと認められ、それが文献に未だ記載されていないといつても、効果上常識的にみて一顧に価しないためと認めざるを得ない。文献未記載は未知を意味するものでなく、仮に未知であるとしても、効果のないものを特許することはできない。そして、審査或いは査定不服の抗告審判においては、それぞれの出願について特許要件を具備するか否かを審理すれば足り、その出願と内容を異にする他の出願が公告されたか否かとは関係がないから、他の特許出願公告の例を引いてする原告の主張は無意味であるというべきである。

(二) 次に、第一工程は原料ガス中の水素量を増加せしめることを目的とする周知の手段で、炭酸ガス吸収剤として何を用いるかということとは直接何らの関係がない。しかも、審決中の「炭酸ガス吸収工程だけを極限して眺めた場合の効果」という記載は、原告の主張するごとく第一工程を無視して眺めたの意味ではなくて、炭酸ガス吸収後の吸収液の処理如何を含めて考えた場合の効果に対しての限定を意味していることは、右記載に続く審決の記載を見れば明瞭であるので、審決の右記載をもつて、アンモニア合成方式を理解していないことに出た誤りである、とする原告の主張も何らの根拠のないものである。

(三) また、審決が水素損失の減少効果につき特に触れていないのは、抗告審判請求書における主張にかゝわらず、同時提出の訂正明細書に効果として明記されていなかつたからで、別に他意はなく、そしてこの効果も動力、用水の節減効果と同性質のものであることは明瞭であつて、審決における効果の認定を左右するものではない。

(四) 本願発明は原告が明細書その他において反覆して述べているように経済的効果を得るのが主たる目的でであるから、この効果の認定には炭酸ガスの吸収費を除外して考えることはできないが、本願発明の吸収条件を、立場を逆にして副生品(量的にはきわめて多量で単なる副生品ではない)すなわち重炭酸ソーダ或いはソーダ灰等の製造という見地からみると、きわめて不利な製造条件であることは、前に詳述した通りである。そしてこの不利の克服手段は何ら示されていないから、本願発明の真の効果は原告自身の主張する効果とこの不利なマイナスの効果との和であり、この和がプラスかマイナスかは全く不明であるのでで、結局本願の効果は認めがたいものである。

(五) 原告は、本願方法によれば銅アンモニア溶液の濃度は不変である、と主張しているが、その実際については何ら実証していないし、またアンモニアの性質からみて常識的にも不変であるとは認められない。しかも本願の場合においても銅アンモニア溶液は公知方法と同様に吸収一酸化炭素除去のため循環使用しなければならないはずであるから、この際アンモニア濃度調整を行つている公知方法と効果上大差があるとは云えない。原告の前記主張も亦当を得ないものというべきである。

四、被告はアンモニア合成用ガスの精製法とソーダ工業との結合による工業の可能性を否定しているのではない。しかし、本願では炭酸ガスの吸収反応には直接関与しない食塩を多量に併用しながら本願要旨をアンモニア合成用ガスの精製法という限られた面にのみ制限し、食塩の利用形態については、要旨中にはもちろん、説明さえ十分になされていないから、アンモニア合成用ガスの精製法として特に効果のあるものとは認められず、それ故にこそ本願は公知の事実から任意になし得る程度のものである、と主張するのである。

なる程、食塩の併用につき、原告は、炭酸ガスをアンモニアのみで吸収して得た炭酸アンモンは利用の途がないから食塩を併用して塩化アンモンとソーダ灰とを製造するのであると主張しているが、炭酸ガス、アンモニア食塩水からの塩化アンモン及びソーダ灰の製造は周知であるから、炭酸ガスを利用せんとすれば、食塩を利用して塩化アンモン及びソーダ灰の副生を図ることは直ちに想到し得ることで、何ら発明力を要するものではなく、したがつてこの副生物の生成は、新規効果などと称し得るものではない。発明力を要するのは、いかなる条件によつてこの工業が成り立つか、すなわち、いかにしたら従来法に比し食塩の利用を有利になし得るかの条件の決定に存し、食塩の使用による効果というのはこの条件による方法が従来法に対しての有利性でなければならないものと思われる。本願においても、もしこの条件が明らかにされており、請求範囲に限定されているならば、特許発明として成立するかも知れないが、遺憾ながら本願明細書の記載をもつてしては、発明の存在を認めがたいものである。

第三証拠<省略>

理由

一、原告が、水性ガス、天然ガス分解ガス、重油分解ガス等の炭素系ガスを原料としてアンモニアを合成するに際し、原料ガス中に水蒸気を賦与し、これを一酸化炭素変成触媒に通じて一酸化炭素と水蒸気とを反応せしめる第一工程と、第一工程を経たものをアンモニアと食塩とを主たる成分とする水溶液にて混合接触せしめ、ガス中の炭酸ガスを吸収除去する第二工程とより成ることを特徴とするアンモニア製造原料ガスの精製法、なる発明について、昭和二十九年四月十三日附で特許出願をし(同年特許願第七、四一三号)、昭和三十年一月二十日に拒絶査定を受けたので、同年二月十四日に抗告審判の請求に及んだが(同年抗告審判第二八三号)、昭和三十二年十二月九日に至り、本願発明の方法は炭酸ガス吸収能の大きいことが周知であるものを単なる炭酸ガス吸収剤として用いることを要件とするに過ぎないものと認められ、特に発明力を要することなく当業者が任意になし得べき程度のものであり、特許法第一条の発明を構成するものとは認められない、との理由のもとに、本件抗告審判の請求は成り立たない、との審決があり、右審決書の謄本が同月二十六日原告に送達されたことについては、当事者間に争がない。

二、ところで、本願発明の方法は、アンモニア合成用原料ガスを得る方法として最も普通に採用されている、窒素、水素、一酸化炭素を主体とする水性ガスに水蒸気を加え、水性ガス中の一酸化炭素と水蒸気とを反応せしめて、主として水素と炭酸ガスと窒素とから成る混合ガスとし(第一工程)、この混合ガスをまず圧縮して高圧水と接触させて溶解除去する(第二工程)方法において、高圧水による炭酸ガスの吸収除去手段(右の第二工程)を、アンモニアと食塩とを主たる成分とする水溶液の使用に切り換えんとするものであり、その他の点には格別の差異のないものであることは、原告の争わないところである。

審決は、本件発明においては、右に指摘したアンモニア食塩水による炭酸ガスの吸収除去手段に従来法と異なる特異性があるので、この点について、それが特許に値するか否かを検討判断したものと解せられる。

三、さて、原告が本件発明の要旨としているところは、前記のとおり第一工程と第二工程とより成るアンモニア製造原料ガス(以下原料ガスという)の精製法であることに存することは、成立に争のない甲第二号証の二(本願につき原告が昭和三十年二月七日附で差し出した訂正明細書)中、発明の名称として「アンモニア製造原料ガスの精製法」とあり、また特許請求の範囲として、前段に本件発明の要旨として記載したと同じ事項以外の記載がないことに徴しても明らかであつて、重曹の生成その他、炭酸ガスを吸収したアンモニア食塩水の処理如何は、これとは別個の問題であることは言うまでもなく、(そのことは、原告自ら主張しているところである、ということができる。)したがつて、本件発明が特許法第一条にいわゆる新規な工業的発明を構成するか否かを判断するには、原料ガスの精製という立場からのみの検討すればよいのであつて、本件審決の当否も亦、この観点から論ずべきものである。そして、本件発明は前記のように第一工程と第二工程とより成るものであるが、その中の第一工程、すなわち原料ガスに水蒸気を賦与してこれを一酸化炭素変成触媒に通じて一酸化炭素と水蒸気とを反応せしめること(いわゆる一酸化炭素転換)は、水性ガス類を原料としてアンモニアを合成する場合には必ず行わなければならない操作であり、また、かく一酸化炭素転換を行つたガスは、次の工程としてガス中の炭酸ガスを除去する操作を必要とするものであることも亦、周知の事実である。したがつて、本件発明では、前に示したように、右炭酸ガスの除去にあたり、従来の高圧水による吸収に代えて、アンモニア食塩水を用いる点のみが従来法と異なつているのであるから、このようにアンモニア食塩水を用いることが容易になしうることかどうかの点、並びにその作用効果等を原料ガスの精製法の立場からして、詳細に検討する必要があるわけである。

四、ところで、アンモニア食塩水の炭酸ガスを吸収する能力が大であることは周知のことに属する。いな、炭酸ガスは酸性であつて、アンモニアや苛性ソーダのようなアルカリ性物質とは容易に反応するものであるから、むしろ、化学常識上、高圧水に吸収させることよりもアンモニア食塩水を用いることの方が炭酸ガス吸収能力の大なることに容易に想到し得るところであると言い得よう。

そこで、問題はこれを原料ガス中に含まれる炭酸ガスの除去に適用することの作用効果であるが、これについて原告は本件発明の特長として、従来法における高圧水による炭酸ガスの吸収除去の手段に対比して、(1)動力、用水の節減(2)水素の損失減少及び(3)銅液洗滌による一酸化炭素除去精製効果の増大の三点を挙げているが、このような本件発明の特長効果は、何もアンモニア食塩水の使用に限つたことではなく、いやしくも高圧水の使用というような手段によらず、食塩を含まない単なるアンモニア水その他のアルカリ水溶液、例えば苛性ソーダ水溶液等、化学的吸収剤の使用によつても達せられるもので(但し苛性ソーダ水溶液を使用した場合には前記(3)の効果はないが、)、これらの点が特に本願方法の効果として顕著なものであると認めることはできない。

したがつて、炭酸ガスの吸収除去という点からみれば、アンモニア食塩水による本件発明の手段も、或いは他のアンモニア水または苛性ソーダ水溶液等による手段も、ともに化学的に容易に考えられる程度のことであるし、その効果もこれら化学的吸収剤の使用に必然的に伴うもので、格別顕著なものであるとも認めがたいのである。

五、本件発明において、単なるアンモニア水でもすむのに、更に食塩水を添加して、アンモニア食塩水を用いることの工業的意義はどこにあるのであろうか。

前記甲第二号証の二(本願の訂正明細書)をみるのに、右食塩を併用することの直接の目的は、アンモニア食塩水と原料ガス中の炭酸ガスとを反応せしめて、いわゆるアンモニア曹達法の方式にのつとり、重曹等を生成せしめる点に在るものと認められる。すなわち、原料ガスの精製とアンモニア曹達法とを組み合せた点に、本件発明の意義が存したわけである。

果してしかりとするならば、本件発明の真の姿は、単なる原料ガスの精製法ではなくて、右精製法とアンモニア曹達法との組み合せであり、したがつてその発明構成上の必須要件として、明細書の特許請求の範囲の項に、第一工程及び第二工程のほか、更にアンモニア曹達法に関する事項(最少限度として重曹生成に関する所要の条件)を記載する必要があつたのである。けだし、アンモニア曹達法における重曹生成反応は、炭酸ガスの濃度、アンモニア食塩水の組成、温度等、その反応条件の調整が甚だ重要であるので、本件発明においても、これらの条件を開示すべきであつたのである。そして、もし本件発明において、右のように特許請求の範囲にアンモニア曹達法に関する事項が記載されており、かつ実施例等によつてその作用効果が認められる場合には、或いは新規な工業的発明として特許に値するものと認められたかも知れないのである。

しかるに、原告は単なるガス精製法として本件特許出願をし、かつ本願方法はそれとしては発明力を要せず、化学上容易に想到し得るものであり、顕著なる効果をも奏しないものであること、前に認定したとおりであるから、本件出願発明は、特許法第一条の新規な工業的発明というに値せず、特許要件を具備しないものというのほかはない。

なお、原告は本件出願発明と同様のものが特許されているとして、特公昭二九―一四七四号を引用しているが、成立に争のない甲第四号証(右特許公報)によれば、右はアンモニア原料ガスの精製とメタノール合成とを組み合せたもので、その発明の要旨、目的、作用効果等が明確に開示されていることが明らかであるから、本願発明とこれとを同日に談ずることは相当でない。

六、本件審決が、本件出願の発明をもつて特許法第一条の要件を具備せず、特許に値しないものと認めたことは、相当であり、これが取消を求める原告の本訴請求の理由がないことは、前段に判断した事項以外の点に関する本件当事者双方の見解の相違につき審究するまでもなく、明らかなところであるといわなくてはならない。

よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 内田護文 原増司 入山実)

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